「この広告、AIだな」。たぶん、見ているのは絵だけじゃない

最近、広告を見ていて、

「あ、これAIで作ったチラシだな」

と思うことがあります。

どこがおかしいのかと聞かれたら、「さて、どこから話そうか」となります。

鼻でスパゲッティを食べているわけではない。

コップの文字が謎の言語になっているわけでもない。

むしろ、きれいです。

人物は笑っているし、部屋も明るい。色も整っている。

それでも、多くのツッコミどころを感じる。

ただ厄介なことに、外れていることもあります。

人が描いたものをAIだと思い、AIが作ったものを普通に眺めている。

私の鑑定眼は、その程度です。

それでも「AIっぽいな」と感じる広告には、何か共通するものがある気がします。

不自然ではないが、不自然に感じる

以前のAI画像には、分かりやすい違和感がありました。

手がおかしい。
物の形がおかしい。
奥にいる人が急に溶けている。

最近は、そういうものもずいぶん減りました。

では何を見て「AIだな」と思うのか。

住宅なら、明るいリビングで笑う家族。
相続なら、親子が書類を囲んでいる。
不動産投資なら、スーツ姿の人が建物を見上げている。

どれも意味は通じます。

むしろ、入力した言葉が、そのままイラストの中に配置されているように見えることがあります。

人が描くと、そこにもう少し余計なものが混ざります。

たとえば「お父さんを描いてください」と言われたとき。

たまちゃんのお父さんみたいに眼鏡をかけてカメラを持っているかもしれない。

まる子のお父さんみたいにのんきな顔で晩酌をしているかもしれない。

描く人が育った家や、身近にいた人、それまで見てきた「お父さん」のどれかが、本人も気づかない程度に混ざる。

同じ「お父さん」という言葉から始まっても、少しずつ違う人が出てきます。

だから、ときどき広告を見て感じるのは、上手い下手ではなく、言葉と絵の間に誰かが一度立っていた感じがするかどうかなのかもしれません。

AIは言葉を絵にする。

人はその途中で、勝手に何かを思い出す。

その余計なものが、「自然に見える」になるのかもしれません。

効率化したはずなのに、手抜きに見えることがある

AIを使えば、これまで何時間もかかった作業が数分で終わることがあります。

広告用のイラストも、以前なら探すか、描くか、誰かにお願いする必要がありました。

今は「こういう感じ」で、とりあえず一枚出てきます。

これはかなりありがたい。

ただ、その「とりあえず」が、そのまま表に出ることがあります。

AIを使ったから手抜きに見えるのではなく、そこで一度も立ち止まらなかったように見えると、手抜きに感じる。

どの絵を使うか選ぶ。

余計なものを削る。

文字とのバランスを変える。

「この人物、本当に必要か」と考える。

AIで手間は減らせても、考えるところまで減らすと、少し違うものになりそうです。

AIだけの話、というわけでもない

とはいえ、これはAIに限った話でもありません。

フリー素材の一番上に出てきた写真を使う。

テンプレートを開いて、文字だけ変える。

去年の広告の日付を今年に直す。

どれも効率的です。

そして、やり方によっては「とりあえず作りました」まで一緒に伝わります。

見る側には、30分で作ったのか、3日かけたのかなんて分かりません。

でも、

「これでいい」

だったのか、

「これがいい」

だったのか。

その違いは、不思議と少し見えることがあります。

「なんか違うな」が残る

これから広告にもホームページにも、AIで作られたものはもっと増えていくのでしょう。

そのうち「AIっぽい絵」という感覚自体、なくなるのかもしれません。

AIに一枚作ってもらう。

見てみる。

「いや、なんか違うな」

もう一枚作ってもらう。

この「なんか違うな」は、うまく説明できないくせに、なかなか消えてくれません。

最初に広告を見て「これAIだな」と感じたのも、たぶん同じところです。

効率化したはずなのに、そこでまたツッコミを入れる。

その度に少し味がつき、書いていないことまで見えてくる。

AIが近道を作ってくれるなら、その道端で余計なものを拾っていきたいと思います。

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