「スーパーまで3km」
と聞くと、近いと感じますか?遠いと感じますか?
1kmなら近い。
3kmでも、まあ近い。
では3km先まで歩いてくださいと言われると、
「えっ?」
となる。
盛岡で暮らしていると、距離を考えるときに「車で移動する」が自然と前提に入ります。
「盛岡の人」と主語の大きなタイトルにしてしまいました。もちろん全員の話ではありません。
「徒歩15分」を見て、車なら何分かを考える
不動産広告では、駅やスーパーまでの徒歩分数をよく見かけます。
徒歩5分。
(まあ近いかな。)
徒歩15分。
(歩けなくはないな。)
ただ、盛岡の郊外で暮らしていると、スーパーまで徒歩15分と書いてあっても、
「15分なら歩けなくはないな。」
よりも、
「車ならすぐかもな」
となります。
広告に書いてあるのは「徒歩15分」。でも実際に暮らせば、頭に残るのは「車での移動時間」の方だったりします。
同じ30分でも、近かったり遠かったりする
毎日行く職場なら車で30分が遠く感じる。
たまに遊びに行く御所湖なら、同じ30分でもそれほど遠く感じない。
毎日繰り返すか、たまに行くか。
仕事なのか、遊びなのか。
どうやら距離感には、時間以外のものも結構混ざっているようです。
東京でも盛岡でも、地図の数字だけでは決めていない
東京にいた頃、目的地までのルートを見るときは、表示された所要時間だけでは決めていませんでした。
東西線、風が強いと遅れるよな。
大手町で半蔵門線に乗り換えるとき結構歩く。
都営線、駅によっては地下がやたら深い。
目的地が高層ビルなら、駅に着いてからエレベーターで上がる時間まで地味に気になります。
乗り換え1回で済む30分と、階段を上って下りて二度乗り換える30分。頭の中では別の距離でした。
盛岡に来ると、頭の中で計算している項目が変わりました。
夕方は396号線の南大橋のところ混むんだよな。
まちなかは信号が多いな。
長く走るなら、コンビニ多い道の方がいいな。
距離が少し長くても、4号じゃなく大迫から抜けていこうかな、とか。
東京では乗り換え案内を眺め、盛岡では道路を眺める。
やっていることは、実はあまり変わっていないようです。
「近い」は、何キロではなく面倒の量かもしれない
今は、行きたい場所があればGoogleマップでドアからドアまで調べられます。
何キロ離れているかより、
「結局、何分で着くのか」
を見ることの方が増えました。
そして、地図が教えてくれる所要時間に、頭の中で「面倒の量」まで勝手に足している。
もしかすると私たちは、距離ではなく目的地までに何回「面倒だな」が挟まるかで、近い遠いを決めているのかもしれません。
「盛岡の人は、何キロまで近いと言うのか」
という話を書き始めたはずでした。
気づけば、盛岡の人がどうこうというより、人は何をもって距離を感じているのか、という話になってしまいました。
主語を大きくしたうえに、最後は主語までいなくなりました。
すみません。
